愛知県春日井市 はせかずやを支援する会 郷土愛と奉仕の心 しがらみのない新しい風

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ダウン症の長男が私の原点

カテゴリ : 平成24年 7~12月
私は、大学時代(明治大学)の東京生活が縁で妻と結婚いたしました。
25歳、妻が24歳の時です。すぐに妻が妊娠、春先妻は実家で初産のため里帰り、出産の知らせを受け、会社を早退し新幹線に飛び乗りました。
インスタントカメラを片手に病院に飛び込み、僕の子供はどこですかと看護師さんに尋ねました。看護師さんは、長谷さんですか、先生からお話があると言うのです。そして、先生から私は、あなたの御子息はダウン症ですと告げられるのです。私は、ショックで頭の中が空白になりました。やがて、ふらふらと近くの書店に入り、分厚い家庭の医学書をめくり、ダウン症のことが理解できたのです。初めて聞いた病名でした。
 新婚1年で、初出産、妻は子供を抱え春日井に戻ってくるだろうか、どんな思いで私の両親に会うのだろうか、私はこれから先、どうやって妻をささえていけるのか、社会生活を営んでいく自信さえなくしていました。
そんな思いも、それぞれの両親や姉夫婦や少ない春日井の親戚などから支えられ励まされ少しずつ安らいで時は経過していきました。
抵抗力の弱いダウン症の長男は、1歳を迎えての冬、風邪をひき肺炎までひきおこし、市民病院に約1カ月入院いたしました。妻と交代で病院に泊まり込み、数日たったある早朝、長男の顔を見ていたら、この酸素ボンベをはずしてやればこの子は苦しまなくても済む、いや、自分たち夫婦も苦しみから解放されると自分自身に負けそうになった瞬間もありました。
 高蔵寺の方でダウン症の親の会があると妻から聞かされ、頑張って育てていけば会話もこのくらいまで可能とのダウン症の子供たちにあったり、小・中・高校は、こんな可能性があるなどとの情報を集め、その都度悩み、希望をもって、長男の成長と共に私たち夫婦の喜怒哀楽がありました。
 時は過ぎ、その後妻は妊娠、検査により長女・次男と健康に出産しました。
私たちは、結婚33年、ダウン症の長男も33歳、現在は、中切町にあるなかぎりワークスという作業所で働く場をいただいています。
 私たち夫婦は、共に働きながら60歳をすぎたら障がい者の施設で働けたらと40歳を過ぎたころから考えていました。そんな折私が55歳の際、31年勤務した会社に合併話が持ち上がり、さらに早期退職の話が具体化しました。私は、計画を5年早め、障がい者の福祉や弱い高齢者の福祉を向上させたいという目的をかなえるための違った手段を得たいという考えに至ったのです。私が今こうしてブログを書き3年先の再挑戦に向かっているその原点は、長男にあるのです。
 このブログに書いているような体験は、障がいをもつ子どものご両親は、誰もが体験されていることと思います。長谷さんはまだ幸せな方だと思う方も沢山見える事でしょう。しかしながら、その親たちにおそらく共通していること、それは子供たちの将来の夢、または安心だろうと思います。障がいをもつ子どもを残しては死ねないという切実な思いだと思います。
私は、その希望や思いに応える仕事を実現したいと考え望んでいます。
長男は、私たち夫婦そして家族に課題を与え、元気を与えてくれているんだと思い感謝する日々であります。
2012-09-05 17:12:25